煩悩とは仏教の教えの一つで、心の汚れという意味があります。
人が生きる時に感じる苦しみの原因になるものですが、考え方によってはポジティブな活力に変えることも出来ます。
今回は供養や仏事でのお話ではありませんが「煩悩」についてお話をさせて頂きます。
人間が苦悩する原因は心の中に宿る煩悩があるから
人は生きる上で心が必要です。人には必ず心の動きがあります。
人の苦しみは心の揺らぎにより生まれますので、生きている限り煩悩が消えることはないと言っていいのではないでしょうか?
それでは、心の中の煩悩がどこから生まれるのかと言いますと、仏教では無明(邪見・俗念に妨げられて心理を悟ることができない無知)という状態や、三毒といって貪欲(むさぼりほしがる心)瞋恚しんに(怒る心)、そして愚痴(愚かさ)と言われる所から生まれるとされています。
煩悩は108あると言われていますが、宗派によっても違いますし、必ずしも108とは限りません。108はあくまで俗説にすぎませんが、108あるとされる理由には多くの説がありますのでご紹介させて頂きます。
九十八随眠(九十八結)と十纏(じってん)説
随眠は眠っている煩悩と言われ、眠伏する種子、煩悩の種のようなものと考えられています。(貪瞋痴(とんじんち)・慢・疑・有身見・辺執見(へんしつけん)・邪見・見取・戒禁取(かいごんじゅ))。これらを細かく分類して、更に細かくして合計で九十八随眠になります。
十纏(じってん)は10の煩悩からなります。
(無慚(むざん)・嫉(しつ)・無愧(むき)・悪作(あくさ)・睡眠(すいみん)・惛沈(こんじん)・慳(けん)・忿(ふん)・掉拳(じょうご)・覆(ふく))
随眠の九十八の煩悩に十纏の十の煩悩を合わせた煩悩の数が108と言うことになります。108煩悩説の一つです。
六根説
六根は、人間の五感と心を合わせた言葉(眼・耳・鼻・舌・身・意)のことです。
また六根は六情根とも言われ迷いや欲を与えるものです。六根を通して、色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)という六境を知り、これにより、目で見た情報や香り、声などを認識します。
六根で生じた感覚・状態を表すのが好・悪・平です。好は快感、悪は不快、平は快でも不快でもない状態。ここに浄(きれい)と染(汚)、更に前世・今世・来世を意味する過去・現在・未来を合わせます。
六根(6)×好・悪・平(3)×浄・染(2)×過去・現在・未来(3)=108
六根説は感覚や状態・時間で108の煩悩を表しています。
四苦八苦説
四苦八苦は仏教用語の一つです。
人生における苦しみである生・老・病・死・の四苦に、愛別離苦(あいべつりく)愛する人と生別や死別する苦痛や悲しみ・怨憎会苦(おんぞうえく)嫌いな人や物に会ってしまう苦しみ・求不得苦(ぐふとっく)求めるものごとが手に入らない苦しみ・五蘊盛苦(ごうんじょうく)自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ。
これらを組み合わせたものが八苦です。
仏教では、この四苦八苦は人間が生きている上で避けては通れない、根源的な(苦)としています。
四苦八苦を数字に読替えて、四苦4×9=36+八苦8×9=72で合計が108です。
少し苦しいような気もしますが、四苦八苦だけに。
暦説
暦を由来にすると1年の月の数は12か月です。そして、春夏秋冬を細かく分けたものを二十四節気(にじゅうしせっき)と呼びます。
二十四節気を更に細かく分けたものが七十二候(しちじゅうにこう)と言います。月の数(12)に二十四節気(24)と七十二候(72)をたすと108になります。
煩悩の数108にはいろいろな説がありますが、どの説も有効に感じます。共通して言えるのは、煩悩は多数存在すると言うことです。
108個の煩悩と除夜の鐘の関係
108と言う数字を聞いて真っ先に連想できるのは、煩悩の数と除夜の鐘ではないでしょうか?
除と言う漢字には、何かをとりさる、はらうと言った意味があります。古くなったものを取り除き新しいものへと変わることを意味します。そのことから、一年の最後の日(大晦日)を「除日」と言うので、その夜を除夜と言います。
除夜の鐘と呼ばれているものは寺院にある梵鐘のことを示しています。梵鐘とは寺院の鐘楼などに吊るされている釣鐘で、撞木を用いて撞き鳴らすことが一般的です。梵鐘には時報の役割もあり、朝・昼・夕と時間帯で梵鐘をならす寺院もあります。
また、仏の声を広く届ける意味もあります。梵鐘は仏の声ですので、多くの人の耳に届き、全ての人が幸せであってほしいとの願いも込められています。
大晦日の夜、鐘のある多くのお寺では108回の鐘を撞きます。この除夜の鐘は煩悩の数である108の数の鐘を撞くことで煩悩を振り払うとされています。
梵鐘の音には悩みや苦しみを断ち切る力があるとされて、誰しも梵鐘の音を聞けば 煩悩を抑える効力を授かるとも言われています。
煩悩と数珠の関係
ある国の王が平穏を得る方法をお釈迦様に伺ったところ、「無患子の実108個を貫き通して輪を作り、珠を一つ分爪繰る度に仏法僧を称えれば、煩悩による苦しみがなくなって無上の果徳を得ることが出来る」とお釈迦様はおっしゃったそうです。やはり、数珠の起源と煩悩は繋がっていたのです。
人が生きる上での誘惑や欲望はあまたあるということです。
煩悩は人に心がある以上は必ず生まれます。煩悩を否定することは自分の心を否定することと同じではないでしょうか?
大切なことは自分自身と正しく向きあい無理に煩悩に打ち勝とうとするのでは無く、自分の心をコントロールして煩悩に呑み込まれることの無いようにすることが良いのではないでしょうか。
苦しみや辛さがあるからこそ、また楽しさや幸せがあると思います。