お彼岸について Vol.3

ぼたもちとおはぎの歴史

いつからお彼岸にぼたもちやおはぎが食べられるようになったのでしょうか。
おはぎやぼたもちの歴史は古く、平安時代に登場してきます。今昔物語にでてくる「かいもちひ」を現代ではぼたもちと訳しています。ぼたもちではなく、そばがきとの説もあるようです。

この時代は小豆の赤い色は災難が降りかからないようにする魔除け効果があるとされ、邪気やけがれ・祟りを払うために食べられていたようです。江戸時代に入るとお彼岸に食べる風習が定着し、先祖供養と結びついたと言われています。

現代のような甘いおはぎやぼたもちを食べるようになったのは砂糖が入手しやすくなった明治以降のようです。

ぼたもち・おはぎの名前の由来

お彼岸の時期に食べる「ぼたもち」や「おはぎ」ですが、どちらも、もち米とうるち米を原料としたお餅をあんこで包んだ和菓子です。一説には、萩と牡丹の季節に由来しているといわれています。

萩の花が咲く秋の彼岸で食べるのが「おはぎ」、牡丹の花が咲く春の彼岸で食べるのがぼたもちといわれています。

語源はどれが正しいということは難しいのですが、この説はとてもしっくりきます。

ちなみに、夏は「夜船」と呼びます。餅を搗かずに作るのでペッタンペッタンという音がせず、いつ搗いたかわかりません。夜もまた暗くて船がいつ着いたかわからない「夜船」になぞらえて呼ばれるようになったようです。

冬は「北窓」とも呼ばれ、北にある窓から月が見えないことからと言われています。夜船は「搗き知らず」が「着き知らず」、北窓は「搗きしらず」が「月知らず」と、その由来の巧みな言葉あそびには感動します。

ぼたもちとおはぎは違う?

諸説紛々、数多くのおはぎとぼたもちが存在します。
おはぎには「つぶ餡」。それは、小豆 の旬が秋だから! 小豆の種まきは 4 月~、収穫が 9 月~。 収穫したての小豆は皮まで 軟らかく食べられるので粒あんとして。一方ぼたもちの小豆は、保存中に皮が 固くなるためこし餡にすると言われています。

また、関東ではおはぎ、関西ではぼたもちと呼ぶ説、もち米よりもうるち米が多いのをおはぎと呼び、もち米の多いのをぼたもちと呼ぶ説や、粒あんでくるんだ少し大きめのをぼたもち、俵型で上品なものがおはぎと呼ぶなど、呼び方や材料の配分、完成の形、トッピングに至るまで、地域によってこれだけ違う和菓子も珍しいのではないでしょうか。

おはぎやぼたもちは、地元の和菓子店からデパートに入っている高級和菓子店までが作っています。

さて、いかがでしたでしたか?
いつもと違うおはぎを探しに菓子店を訪れてみるのも楽しいのではないでしょうか。

そしてお気に入りのお店に出会えたら、先祖様にお供えしながら近況のご報告なさってはいかかでしょう。

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