お盆が過ぎればすぐ秋彼岸です。
今回は、お彼岸の期間や由来や歴史についてお話させて頂きます。
お彼岸の期間はいつからいつまで
暑さ寒さも彼岸までといいますが、一年で最もよい季節にお彼岸はあります。
お彼岸は年二回、三月の春分の日と九月の秋分の日を「中日」として、中日の前後三日ずつを合わせた一週間です。初日を「彼岸の入り」としまして、春分・秋分の日を「中日」、最終日を「彼岸の明け」といいます。
お彼岸名前の由来
彼岸という言葉は、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳で、「至彼岸」を略した言葉であると言われています。
直訳すると「向こう岸へ渡る」。またこの言葉には「悟りを開く」という意味もあります。
つまり、この世の苦しみや煩悩から逃れ、悟りと安らぎの境地に至ることを言います。
悟りと安らぎの境地とは仏教用語で、「あの世」のことを言い極楽浄土の世界を指します。
迷いや苦悩に満ちた現世を「此岸」と呼ぶのに対して、あちら側の岸である極楽浄土の世界(悟りと安らぎの境地)を「彼岸」と呼ぶようになりました。
仏教では悟りをひらいた人は彼岸にたどり着くとされています。
有名な経典の一つに般若心経があります。般若心経にも「般若波羅蜜多」と言う部分が出てきますが、この波羅蜜多がパーラミターのことであり、悟りの境地(彼岸)に達することができるように、修行をするという意味を持つ言葉でもあります。
これらのことからも、「お彼岸」は仏教行事のなかでも、もっとも仏教思想をふまえた行事ということになるでしょう。
お彼岸の歴史
お彼岸の行事は、仏教発祥の地であるインドにも中国にもありません。それではいつから日本で行われるようになったのでしょうか。さかのぼると「日本後記」に記録が残っています。
西暦806年に早良親王の怨念を鎮めるため、七日間、昼夜を問わずお経を転読することを諸国の僧に命じたのです。これが日本初の仏教行事として後の彼岸会(ひがんえ)に発展したとされています。
西暦806年と言えば平安時代、「平安貴族」と言う言葉もあるように雅なイメージが目立ちますが、一方では政治による混乱、疫病の流行で、人々は不安を抱えて生活を送っていたと考えられます。
そんな時代だからこそ「末法思想」が流行し、極楽浄土を願う祈りと先祖供養が結びつき、「お彼岸」が日本独特の行事として定着したと考えられます。
仏教用語の難しい言葉が続きましたがお彼岸も奥が深いですね。
調べると色々面白いのでぜひリンクをクリックして調べてみて下さい。
※テキストのリンクは、Wikipediaより
さて、次回は「お彼岸Vol.2六波羅蜜(ろくはらみつ)」についてのお話です。